浅草の蔵前2丁目には楫取稲荷神社(かじとりいなりじんじゃ)というお社があります。
御祭神は倉稲魂神(うかのみたまのかみ)・御年神(としがみ)・豊受姫神(とようけひめのかみ)です。
ご由緒は次の通りです。
その創始は、慶長年間に江戸に幕府が開かれ、米蔵を造営するために用いる石を、遠く肥後国(現在の熊本県)熊本より運搬することになりました。
ところが、遠州灘の沖において船がしばしば遭難に遭いました。
ある時、稲荷の神の示現を得て、それ以後は、航海安全に石を運ぶことが出来ました。その神徳奉賽のため、稲荷の社を浅草御蔵の中にお祀りしたのです。
社名の「楫取」は、神徳に因んで付けられたもので、船の楫取をした稲荷の神の社という意味です。
楫取稲荷神社は、他にも「矢ノ倉稲荷」「蔵前稲荷神社」「石守稲荷神社」「感應稲荷」「谷蔵稲荷神社」「中の口の稲荷」などの名称・通称があります。
江戸時代、もともとは日本橋矢の倉米蔵に祀られていたことから「矢ノ倉稲荷」「谷蔵稲荷神社」、御蔵の「中の門」に移されて祀られたので「蔵前稲荷神社」「中の口の稲荷」と呼ばれたようです。(「石守稲荷神社」「感應稲荷」に関しては未詳です)
江戸時代は、福祥院(ふくしょういん)が別当寺として社傍にありましたが、明治維新の際、神仏分離の太政官達によって、榊神社が兼務することになりました。
現在、楫取稲荷神社の境内には、震災か戦災で破壊された鳥居があり、そこには、江戸時代に稲荷社の別当寺であった「福祥院」(天幸山瑞徳寺福祥院、現在は廃絶)の文字が彫られています。
そして、太平山と関係があったのは、この福祥院でした。
福祥院との関係については、また別に紹介したいと思います。
皆様も浅草にお出かけの際には、どうぞ楫取稲荷神社にお詣り下さい。
※このページの記述には以下の文献を参照しました。
『御府内備考 続編 神社部』
『神社名簿』(昭和12年)
『台東区の神社と祭り』(昭和58年6月)
石津三次郎『蔵前史』(蔵前史刊行会、昭和33年11月)