蛇と水神のはなし
2007.05.11
太平山神社には蛇神を祀るお社があります。
日本の蛇信仰は広汎に渉りますが、まずは水神信仰との関係についてお話ししたいと思います。
もともと日本には、縄文時代の地層から「蛇を頭に巻き付けた女性」を象った土偶が発見されているように、蛇に対する信仰は古くからありました。
日本の蛇である「地ムグリ」は、鼠を捕らえ穴にもぐるのが好きな蛇です。
「山カガシ」は水辺に多く蛙や淡水魚などを補食し、「青大将」は鼠が好きで山村に多いのが特徴です。
一般に、蛇が「田を守る神」とされるのは、蛇が男根への連想から種神(=穀物神)として信仰されたからであり、田の稔りを荒らす野鼠を補食するからと考えられています。
水田稲作を中心とする日本の農耕においては、農耕神は水神ととても密接な関係にあります。
古来「雨乞い」が重要な祭祀の一つであった所以です。
そして蛇神は、蛇と龍との習合、および湿地を好んで生息する習性にもとづき、水神の使い、もしくは水神そのものと考えられるようになりました。
これに加え、命の再生の象徴のように見なされる脱皮という生態やその生命力の高さが、蛇に対する畏怖の念を強め、さらにそれが「蛇信仰=水信仰」を根強いものにしたと考えられます。
また一方で、水神としての蛇は、弁財天(べんざいてん)や宇賀神(うがじん)の神使としても信仰されています。
宇賀神というのは穀霊であり、弁財天には本来水の神の特性があります。
これらの神が中世以降、習合して各地に流行し、海辺や川・池の畔に祀られるようになったのです。
弁財天の縁日(巳待講)が巳の日に行なわれるのは、そうした由来によるものです。
太平山神社の境内には、江戸時代まで弁天社があり、その社殿は池の近くに建てられていました。
明治以降、弁天社は無くなりましたが、水神信仰そのものは残りました。現在の蛇神社は、江戸時代の水神信仰の名残を僅かに留めているのです。