太平山神社と吉野のはなし
2007.01.17
奈良県吉野郡上北山村周辺では「大平宗助(おおひらそうすけ)」という人物がお祀りされています。
上北山村は河合(かわい)・小橡(ことち)・白川(しらかわ)・西原(にしはら)の四つの地域から成り立っています。
この内、西原と河合にはそれぞれ八阪神社が鎮座しており、それらの境内社に大平宗助が祀られています。
春と秋のお祭りでは、八阪神社の本殿で祭祀が執り行われた後、神主と参列者全員で大平宗助が祀られている社にお参りするのが慣習になっているそうです。
何故、この大平宗助が上北山村で崇敬を受けているのかといえば、村の開発に大きな功績があった人物として現在まで言い伝えられているからです。
河合には次のような説話も伝わっています。
むかし、河合(当時は河合村)の鍋割塚(なべわれづか)という場所で村人が開墾していたところ、夜な夜な妖怪がやって来ては様々な悪さをして村人を苦しめていました。
そこへ大平宗助がやってきて、祈祷(お祓い)によって妖怪退治をしたところ、朝になって割れた大きな鍋が見つかった、という伝説です。
試みに地誌を紐解いてみると、「(略)河合区ノ産神村社配祀神宗助ナル者ハ昔時小谷ノ尾ニアリテ其古へ字西山ニ大平宗助ナル者居住シ一部落ヲ為ス大字河合ハ初メ西山ニアリ故ニ其没後之ヲ氏神トシ西山ノ宮ト称セシモノヲ明治十二年現在地ニ移シ元祖神トシ奉祀セリト(略)」(『吉野郡史料』)とあり、さらに八阪神社の配神として「大平社」「大平宗助ノ霊」が祀られていることも記されています。
そして、大平宗助の出身地として「下野国平井村」が挙げられているのです。
下野国平井村は、現在の栃木県栃木市平井町、太平山神社の鎮座地です。
太平山神社は、天長期に淳和天皇の勅額、享保期には崇保院宮の御額を賜っています。
太平山は中世には神仏が習合し、山全体に房が存在しました。
前述の勅額は慈覚大師円仁が奉じたものと伝えられており、寺(連祥院)は天台系で寛永寺直末でしたから、寺院のネットワークによって吉野まで派遣されたとも考えられます。
さらに、上北山村周辺は修験道が発達した地域でもあるから、その関係なのかもしれません。
大平宗助がお祓いをして妖怪を退治した話などは、山伏を連想させます。
ただ、大平宗助が活躍した時期は不明ですし、地元では「おおひらそうすけ」「ひらいそうすけ」「ひらそう」「へいそう」などと呼ばれ、極端に言えば口伝で村に伝わっているそうです。
太平山神社と吉野とをつなぐ「大平宗助」とは謎の人物なのです。
吉野には平宗という柿の葉ずしのお店があります。
このお店は「平井宗八」という人物が創業されたそうですが、もし大平宗助の子孫だったら面白いですね。